日本スピッツの基礎犬 白王
白王 1951年(昭和26年)7月5生まれ 牡犬
種雄として 沢山の良い子孫を残す。(日本各地の愛犬家の元に転売された白王)
だが、実子で牡の子はいない。
(実際に飼われたことのある方が あまり利口ではなかったと) 故 森氏
私の師から頂いた資料、及び、現在少なくなったしまった文献、資料を集めて、
併せ見ると!
白王の 牡 親犬系統は
白王の牡方の牡
ハッポー キムラ を父に持つ
ハッポー キムラ の父は シルバー キング
シルバー キング の父は 龍
白王の 牝親犬系統の 牡は
チエリ・オブ・アラカワ が母
チエリ・オブ・アラカワ の父は ケンニー
ケンニーの父は ケニー・オノ
ケニー・オノの父は タフイ・オノ
タフイ・オノの父は マック・ハルピン
と、言う 系列である。
以上の様に
満洲ハルピンの白系ロシア人が飼育していた
ホワイトスピッツが日本本土に入ってきた。
文献による最初期の
アメリカ、カナダ、から国内に入ったとされる 犬は
アメリカンエスキモー犬であり(ドイツの大型ホワイトスピッツ)
交配には成功したとは書かれていない。
ソビエトのボルジョイサーカス団で(昭和30年代)
サーカスに使用されていたのは ホワイトスピッツである。
(JKC創立は1949年 / 昭和24年ですので、それ以前の国内血統書!?は???)
当時のニホンスピッツ
中京地区は
この地方の スピッツ種の
移入は、大体昭和4年頃と推定される
それ以前とも この地区には 同種かサモエド種がかなり多く
飼育されたものであるが、資料が無いのである。
犬を系統的に、意識的に作出されたのは
まったく新しいことで 無意識に
珍しい、可愛い、毛白と、体型によって
スピッツらしきものであれば 事足りた時代が長く続いた。
この多くは 狆に匹敵する犬
それ以上に貴重な犬、可愛い犬とされたからで
流行の速度は全く早く 増加したものと想像することが出来る。
昭和30年1月のデータによると
三重県 登録数 37,820頭 未登録数 18,000頭 合計 55,800頭
岐阜県 登録数 35,178頭 未登録数 14,000頭 合計 49,178頭
愛知県 登録数 104,878頭 未登録数 41,778頭 合計 146,978頭
(未登録数は推定数です)
この数値は
愛知県衛生部よりの発表数字に 40%弱を加えたものである。
何故!?そんなにスピッツが普及したかは 知る由もないが
食糧が少なくて 比較的に丈夫 片隅にも飼育可能
結局は 安いということが条件になっているようだ。
(外国産である為にただではやり取りをしなかった)
安くても スピッツは換金癖がついていて
おかみさん、娘さん、二号さん、達
もっぱら女性のへそくり源に役立つたのが遠因どころか
直接の原因であったことだと思われる。
きょうはここまでです。
気の向いたときに 書き込みます。
PITSPITZ佐藤 PITSPITZ PITZちゃんもこもこ丼 PITZちゃんもこもこ丼KINGくん
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