日本スピッツ保存会
代表
前日本スピッツ協会審査員、前日本スピッツクラブ審査員
前日本スピッツクラブ会長 伊倉 三郎様
代表代行で、私が任されました。
これからの日本スピッツ!?
正規犬(避妊虚勢で子孫を残せない状態が多くなって)
G.CH / CH であっても、その良い子孫を残さないのは残念。
今いる 日本スピッツは (故)多くの先人が苦労してつくりあげた
世界に誇る日本犬です。
日本スピッツの飼い主の輪を広げ、情報交換、良い(スタンダード)犬を
後世に伝えるべく頑張って行こうではないでしょうか。
先人(故 岸田誠司様) より引き継ぎました。
岸田誠司様
日本スピッツ協会審査員、多くの役職を歴任してからは
日本スピッツクラブ顧問、両団体の審査員指導等されてこられました。
多回にわたり双方宅でのスピッツの勉強、審査員指導、等を受けました。
多くのスピッツを見、触れて、上から目線ではなく、愛犬の審査をさせてもらうと気持ちがなければいけません。(今の審査員はどうなのかな?)
口頭で沢山の事実 日本入ってきたスピッツの移行過程、
そして、貴重な資料を 私に託されました。
日本での日本スピッツの専門書
スピッツ読本
最新スピッツ読本
(二冊の本には細かな審査に対する事が記述されています。)
スピッツアルバム × 2
故人の友人の遺稿集のコピー
等を、引き継ぎました。
戦後の日本人の心の癒し、犯罪防止の為に多くのスピッツが家庭で飼われました。
(ご婦人の おこずかい稼ぎもあり、牝犬を託し 良い雄犬を連れて行き繁殖させた。)
昭和30年には、JKC登録数1番になりましたが、多くの洋犬が移入されはじめ、頭数の下降がつつ”いています。
(多分 現在では年新規登録スピッツは1、500頭位かと思われます)
(NSA 15年史より)
昭和30年ころを頂点とするスピッツ・ブームの時代、これを我が国独自の犬種として確立、固定すべしと言う声が、犬界有識者の間に起こり、しかもその為には、単犬種団体の設立が是非必要、というのが大方の意見であった。
これに呼応してまず名乗りをあげたのは、千葉県市原群の伊藤氏が主宰するJSS日本スピッツ協会である。(多分昭和29年頃の発足と思われる)
*(我が国最初の日本スピッツ・スタンダードを発表と思われる。)<=スピッツ読本
昭和31年6月25日 第一版発行、後に第二版の追加発行 (国立国会図書館所蔵本)
発行者 故 小川菊松さん(愛犬の友社長)
編集 愛犬の友編集部
内文は各JSSの方々が担当
スピッツの魅力 村田氏
スピッツの将来と発展策 秦氏
欧米におけるスピッツ界の現状と日本スピッツ 伊藤氏
日本スピッツの創造への道 井上氏
日本スピッツクラブ標準体型規則 日本スピッツクラブ
日本スピッツクラブ標準体型解説 井上氏
血統書の見方と解説 編集部
スピッツの標準体型 伊藤氏
スピッツとサモエドの相違点 伊藤氏(A)
スピッツの現代名犬の系統 清水氏
種犬選定上の諸問題 水野氏
スピッツの交配・妊娠・分娩の知識 金子氏
仔犬と幼犬時代の飼育と衛生 足立氏
スピッツの飼育と管理 伊藤氏(A)
スピッツの訓練と躾 泉谷氏
仔犬の選び方と買い方 沢辺氏
スピッツの仔犬と成犬の見方 高薄氏
かかりやすい病気と手当 安達氏(A)
スピッツの交配料と仔犬の価格 原田氏
副業として儲かるスピッツの飼い方 石丸氏
スピッツ洗毛後の乾燥法 玉置氏
スピッツ展覧会の意義 重川氏
敢闘賊を走らせたリリー号 編集部
全国各地区におけるスピッツの現況
北海道 高薄氏
青森 秋谷氏
東京 牧野氏
栃木 池田氏
群馬 植原氏
金沢 小坂氏
東海 向坂氏
中京 加藤氏
京都 永野氏
大阪 鵜野氏
中国九州 玉置氏
名犬群(画像あり)
ボン、
白王、
ベルダ オブセントポール
富士
ホープ オブ カニ
シルバー スター オブ パシフィック
ジュニア ダンディ
ラッキー六和壮
Cherry
ダーリー オブ ムーンライト
フック オブ エイキンソー
トム トム
ユミマイヤー オブ コルチカ
Arisa of St,paul
ペギー オブ セントラー
チビ オブ オオウチ
キングライト
ジョニー カメイ
富士
ジョリー オブ 晴香壮
ジョン オブ シルバーハウス
一三 オブ 永金壮
シーザー オブ オリエンタル
シルバーフォートレスパール
シルバースター
キング オブ キンセン
チニー オブ アラカワ
プリンス オブ キンセン
クイン
ルビアン オブ カネコ
シロ オブ シック
バロン
マック オブ ナニワモリ
ルー
チル
チャピー
ジュリー オブ カームヒル
リリー
ユリー
パール
ロ・シヤンの優秀種犬群
ワシントンの優秀種犬群
ジョニー オブ コーリンソウ
ジョニー オブ キャッスル
プリンス オブ ハッピーファミリー
カロ
ミカド
ニッポン
無名の名犬
などが、総理大臣賞~様々な賞を 受賞されていました。
(私の母の実家山梨で、甲斐犬の個人ブリーダーをしていました 爺さんのおこずかい稼ぎ? **大臣賞の賞状/トロフィーも沢山ありました。しかし 面倒を見ていたのはッ子供たちですと言っていました)
この会は、当時の犬界誌や旧版スピッツ読本などに、伊藤氏がスタンダードを発表した文筆活動だけに止まり、畜犬団体とは名ばかりで、それらしき何らの事業も行っていない。
その後、昭和34年にNSAの発足を前にして、星合氏らが同地まで赴き、事実上の削減くぉ確認したうえで、同一名称のNSA設立となったものである。
つつ”いて昭和30年にNSC日本スピッツクラブが発足した。
つつ”きは 後日(何時になるか?分かりませんが) つつ”ります。
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